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「勉強とは?」

参政党は「教育」を重点政策として掲げている。

「今の政治や世の中の動きに違和感を感じて参政党へ入党した人」へ“おはよう”と言うことも一般化している。では、参政党の党員は本当に目覚めているのか?と私は問いたいし、ボードメンバーにも同じく問いたい。

参政党は教育をテーマ(課題)として党の3柱にしている。その主張は「画一的な偏差値重視の教育は駄目だ!教育を受ける子供たちに合った個々の教育がある」と言った内容ではないか?そのことに対して異論はない、但し、前提として「自ら考えられる人を育てる」ことが目的であったならである。大事なことは「知識のため込みでは無く考える(創造する)力の醸成」こそが教育であると言うことだ。

参政党はその様な考えを持った人々の集まりなのに私には大きな違和感がある。

本日配信された【参政党音声メルマガ】“CEOセオさん「リスク管理」No.1025”を聞いた率直な感想ですが、これは参政党の党員が学ぶべき内容でしょうか?これから起業しようとしている人なら参考になるかも知れませんが、既に企業経営者である人や会社員にとって(あまりにも当然のことで)全く参考にはなる内容ではありません。それこそ「政治に参加したい、DIY人」にとって何らの意味を持ちません。

参政党は、「情報はタダではない、参政党は毎日音声メルマガを党員へ届けており党費への対価である」と言っていますが、情報の価値(対価を支払うに相当するか否か)は情報を受取る党員が判断することであり、一方的に(無価値な)情報をメルマガで送り届けることで党費に値すると言うことを私は受け入れ難い。だから私は僅かな寄附として党費を支払っているのであって「対価に相当する情報」とは受け止めていない。

話しをテーマに戻すと「勉強とは?」と言うことである。

先に答えを言えば勉強とは、「広く浅く情報を得ることではない、自分が知りたいことを調査・研究することであり、真実が何かを突き止めて対策を考える」ことであると私は定義している。

また、重要なことは「立ち位置が変われば答えも変わる」ことを理解しておなけばならないと言う点だ。映画マトリックスでは、支配する側と支配される側の立ち位置があった。支配される側の目線で映画のストーリーは構成されているが、誰がみてもそこで行われているのはテロでしかない。多くの映画視聴者はテロリスト側に立って応援したのではないだろうか。現在進行形であるウクライナ戦争について考えてみるが、私たち日本人の多くは自由主義国側の立場に立ち「ウクライナへ侵攻したロシアは悪」と理解するだろう。しかし、色々な情報に触れていくと「戦争を仕組んだのは米国であり、ノルドストリーム2を爆破したのも米国」との確かな情報もあり、何が正義なのか。これからどうすべきなのかは分かりづらい状態である。だからこそ、自分の立ち位置を白紙にして状況を詳細に理解して「これからどの様にすべきか!」を自らの思考で考えられる力が必要なのであり、それを実践することを「勉強」と呼ぶのではないかと思う。

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